ベンゼンのおもちゃ箱

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色々自作してる人です。知識が浅いので所々間違っているところもありますがお許しを。

生物学専攻の修士2年がDC1に応募して面接免除採用をもらった話

 

こんにちは。

今回は趣味の話から打って変わって自分の学業のことについて書こうと思います。

そして「学振 ○○」の検索でこのページにたどり着いた全ての方(特にネットでの情報が少ない生物系の方々に)のお力になれれば幸いです。

この記事はあくまでも経験談をまとめたもので、学振に応募している学生のほんの一例としてとらえていただければと思います。

 

おまけ:自分なりに申請書作成において意識したこと、作成のポイントをまとめてみました、こちらも併せてご覧ください。

日本学術振興会(学振)特別研究員(DC1) 申請書のポイント

 

 

博士課程への進学

私は生粋の"科学っ子"でした。小学校の所属クラブは科学クラブ、中学校・高校の部活は科学部(生物班・化学班の兼部)と、科学に入り浸った学生生活を送っていました。また、小学校の時には親に何処かへ連れて行ってもらう時には決まって科学館や水族館、動物園に連れて行ってもらうほどの言わばオタクです。そんなこんなで日々科学(特に生物学)に触れ合う中で、高校生の時くらいから自然と"将来は博士になって研究で飯を食っていくんだ"という漠然とした人生のイメージを持つようになりました。そして、そのイメージを持ったまま大学・大学院へと進学しました。ラボに所属して実際に研究をやってみると、結果はなかなか出ないしボスに怒られてばかりの日々なのでそんな簡単に行かない現実を目の当たりにしました(当たり前かもしれないですが)。しかし、中学・高校から実験や研究をやってきているその功績を、そして大学院での成果を、博士号と論文という形で残したいという思いがあったので博士に進学することに決めました。そこで、令和2年度採用分の日本学術振興会特別研究員DC1に応募することにしました。

 

自分のスペック

一応書いておきます。

 

2019年4月時点で

  • 国立の大学院(七帝のどれか)、修士2年
  • 理学・生物学系
  • 査読中論文(first author)が1本
  • 特許等0個
  • 国内学会発表1回、学内発表1回
  • 卒業研究発表会1位

 

まず、タイトル通り生物系の理系大学院生です。自分が調べる限り生物系のDC申請者のネット記事がほぼ無いので珍しいかと思います。

業績周りに関して、DCを持っている人(以降DCホルダーと書きます)のブログには"学振採用を意識して前々から論文を書いたりたくさん発表をしたりして業績を稼いでいた"とあります。しかし、私の場合DC1を全くと言っていいほど意識していなかった(というかほとんど調べていなかった)ので、論文は愚か学会発表もあまり行ってはいませんでした。なので、同期の人と比べても発表の回数は少なめです(同期の1人は大学・大学院の功績だけで業績欄を埋め切ったと言います、凄い。そんな彼も面接免除採用でした)。とはいえ、この時運の良いことに自分がfirst authorの論文が査読段階まで進んでいたので、acceptされれば業績欄に書けるかなり大きなアドバンテージになりえました。また、学士の卒業研究発表会で1位を取れたのも大きな功績の1つでした。

 

申請書提出までの予定

自分の大学では以下のようなスケジュールで申請を行いました。

 

4/15 学内での申請書の添削申し込み期限

5/13 形式上の所属研究機関への申請書提出締め切り

5/20 本当の所属研究機関への申請書提出締め切り

5/29 正午 所属機関が大学へ申請書類をまとめて提出する日、本当に本当の最終締め切り

~ひたすら待機~

9/30 結果通知

 

結果発表までの日記的なもの

 

その時々に思ったことをつらつらと日記のようにまとめてみました。

(いくつかは記憶をたどって書きましたが、ほとんどの文はその当時に書いたものです)

 

2月末

学内での学振の説明会に参加。

 

3月末

ボスにDC1の評価書の作成を依頼する。しかし、「下書きを書いてください」との返事。最初は意味がわからなかったが、色んなブログを見ると自分で下書きを書くのが普通ということを知る。しかし、自己評価と評価書を書き分けることの難しさに戸惑う。

 

4月

就活中の同期とお互いにES作成・申請書類作成の見せ合いっこと意見交換を行う。就活のESと学振の申請書にはやや通ずるところがあるので、同期に色々と意見を仰ぎながら書き始める。

また、親交のある研究室に大変優秀な博士さんがおり、聞くと案の定DC2取得者だった。申請書を頂けないか交渉すると快諾していただけたため、DC2の申請書類をゲット。この申請書が今まで見た申請書類の中で最も見やすいフォーマットだったので、このインスピレーションを受けて(パクリではない)この先の申請書類を書き進めた。

 

 

4/15

第1稿が完成する。今の自分の限界というところまで書いた(しかし、ブログを執筆する今思えばこの時の自分の"完成"とは、言いたいことが枠内にきっちり収まっているかどうかだけの基準だった気がする。文章も全く体系的ではない)。学内の外貨資金獲得支援機関へ申請書を提出することで、添削をしてもらえるので提出(もちろん専門的な人が見てられるわけではないので、オリジナルのフォーマットや体裁が守られているかや誤字脱字のチェックのみ)。さらに、旧バイト先の教授・准教授にも同じ申請書類を提出する。

 

4/16

旧バイト先の教授からメールで返信。おおむね好印象だったよう。准教授からもメールで返信。「とりあえず気になるところをまとめてみました~」と軽い冒頭とともにA4用紙4枚に及ぶ指摘点の数々。どれを読んでも「おっしゃる通りです」とうなずくことしか出来なかった。大変ありがたいご意見だったので翌日からひたすらそれを反映させる訂正作業。

 

そしてそれと同時期、同期から壊滅的な国語力を指摘され病む。正直なところ国語は小学生のころから苦手だった。中学受験の頃は問題が分からなすぎて泣きながら勉強していたほど。センター試験の国語は86点だった。はぁ。

 

4/29~5/3

このあたりで五月病に感染、申請書類には全く手を付けられず。評価書を埋めようとするも盛りに盛った評価書を指導教員に見られる恥ずかしさと評価書と実際の自分のギャップに落胆する。気が進まなかったので5/10に担当する文献紹介セミナーの準備をする。

 

5/4

評価書下書きがおおすじ完了。(1)は1500字、(2)は申請書のコピー+α程度のことを書いた。

 

5/5

ふとサークルの遠い先輩が博士課程に進んでいることを思い出し、「まさかDC取得者だったり?」と思い科研費から先輩の名前を検索してみるとビンゴ、しかもDC1取得者だった。同期の人を介してコンタクトを取り、嬉しいことに申請書類を頂けることになる。一緒にアドバイスも頂いたが、やはり「他分野の方々にたくさん申請書を見てもらう」「審査員の方々にいかに分かりやすく読む気にさせるような文章を書けるかがポイント」が大切な模様。自分と似ている分野の人が審査員に当たることは稀なので、ましてや中学生が読んでも分かりやすく、また面白いと感じてもらえる文章で書くのが良いとも教わりました。

 と言われたがその"他分野"というのが難しい。学科の同期でも良いのだがもっと審査員寄りの視点が欲しいし、逆に教授・准教授・助教授レベルだとそんな繋がりはないし連絡を取っても「なんだこいつは」という事に成りかねない。学会でやや面識のある方々でもいいが、それだと分野が近すぎる気がする。

そして、この日約10日ぶりに申請書の手直しをする。「第2稿だしすぐ終わるだろう」とか思っていたが、大量の修正点があることを時間が経っていたので忘れていた。やばい、時間がない。そしてこの事を逐一ブログのためにまとめている暇ではない。

 

5/6

昨日の先輩から申請書を送ってもらい、ここで初めてDC1申請書類をゲット。4年前の申請書なので図がカラーだったりとフォーマットは現行のものとは異なるが勉強になることは多い。

とりあえず、たくさんの人に見てもらったほうがいいと思い、生物系の分野からは高校の部活の同期(生物系の学科に所属)、部活の顧問にコンタクトを取った。また、他分野からはサークルの先輩にコンタクトを取る事に。(この作業を1ヶ月前からやっておくべきだったと後悔) しかし、サークルの先輩にDC取得者はいないようで断念。というかそこまで他分野の人に見てもらう必要があるのかと疑問。見るのはあくまで生物系の人、工学や人間科学の人が審査するわけではない。その人たちに合わせた文章を書いていたら余計な説明を増やす事になってかえってよくないのでは?と思い他分野の人に見せる事をやめる。

 

5/7

GWが明ける。査読中だった論文にコメントが帰ってくる。結果はminor revision。文章を指摘されたが追加実験を求められなかったのが幸い。

 

5/8

2日後がセミナーのため今日中に申請書の第2稿を仕上げて翌日はセミナーの準備に全力を注ぎたい。と思っていたが夜中の2時まで粘ってもあとちょっとのところで終わらなかった。

 

5/9〜10

セミナー準備やらで論文のrevisionの原稿会議やらでほとんど進まなかった。あと色々やらかしたので精神的に無理だった。

 

5/11

学振取得を目指す同期と申請書を読みあいっこする約束を翌日夜に取り付ける、有難い。そして、夕方ごろにやっっっと第2稿完成。早速ボスと高校の同期2人に送って添削依頼。高校の部活の顧問とバイト先の准教授に送ろうとする間に、ボスから速攻でrejectをもらったので明日送る事に。さらには、PDFを開くソフト(orOS?)によって図中のグラデーションが表示できない問題が発生し、ラスター・ベクター画像について勉強する羽目に(高校の時に情報で習ってたからそこまで時間をかけずセーフ)。

 

5/12

お昼頃にボスへ申請書の再提出。一緒に高校の部活の顧問とバイト先の准教授にも提出。当日のレスはなし。ついでに父親にも読んでもらう。実験手法とかは分からないと言われた(当たり前)が、概ねやりたい事は理解できたそうなので合格点か?夜は同期と約束していた読み合わせ会(という名の愚痴り・慰め合い会)。ここで実験の流れや図のわかりやすさを褒められた。また、自分では気づかなかったミスやよりわかりやすい表現等も教えてもらえた。自分から同期へは前日に学んだベクター画像の作成や読みやすいフォントについてアドバイスした。一助になってくれればいいな。

 

5/13 所属機関への提出期限

提出期限とは言ってもここから1週間は所属機関が校閲、5/29までなら提出可能なのでまだまだ書き直せる。そのため提出期限というより申請登録・校閲依頼期限のようなもの。22時ごろに申請ページを通して提出。研究支援係にもメールを入れる。

そしてこのタイミングでついに論文のaccept通知が来る。やった。これで堂々と"in press"と業績欄に書くことができる。

 

〜5/19

ここにメモする時間もなかったし今となっては記憶もないがひたすら忙しかった気がする。ひたすら訂正→ボスへの提出のサイクル

 

5/20 

正午が最終提出期限。確かその1時間半前から11時58分までボスとサシでパソコンを一緒に見ながら修正作業。11時59分に提出。しかし、提出後不備が見つかり事務に電話して再提出させてもらう。助かった。

 

5/31

大学が学振へ電子申請を提出。自分の申請書が学振受付中になっていることを確認、安堵。

 

、、、といった感じです。ここからの4ヶ月間は待つ、ひたすら待つのみ、でした。合否判定の発表日が決まっていないので、罪人が死刑が執行される日を待つが如く怯えながら待っていました。例年10月中旬ごろに開示される選考結果ですが、今年は例年より早い9月末での開示でした。

 

9月30日午前、なんの前触れもなく日本学術振興会からメール。"特別研究員の第一次選考(書類選考)結果の開示について"とのこと。メールを見た瞬間に心拍数が180くらいに上がりました(かなり盛ってるかもしれないが、耳を塞いだら胸に手を置かなくても心臓の鼓動が聞こえるくらいにはバックバクだった)。ID、パスワードを入れる、、、

 

 貴殿の申請は、独立行政法人日本学術振興会特別研究員等審査会における選考の結果、採用内定となりました。

 

大変光栄なことに採用内定を頂くことができました!その時はこれでもかというくらい喜びました。とりあえずひと段落したら、ボスとラボの方々、申請書を書くにあたってお世話になった先生や先輩、同期、そして家族に採用報告と感謝を伝えました。

とりあえず、採用内定通知が届くまでの流れはこんな感じでした。

 

 

善は急げ、早めの準備を

 

申請書は自分がどれだけ申請書と向き合ったか、どれだけの時間を費やしたのかで完成度が決まると思います。とにかく毎日少しの時間でも良いので申請書とにらめっこして思案して、時にラボのボスや同期からの添削や意見を受けて、時間をたっぷりかけてよりよい申請書に仕上げていくのがベストだと思います。そのために、やはり早め早めから学振に対して意識を持っておくと今後有利になります。

この記事がこれから申請される方の一助になりますように。

 (コメントかスターくれたら嬉しいなぁ)